2010年01月09日

JALは私の第二の故郷(おねえちゃん)

混乱が続くJALの再建問題にある一定の道が見えたようです

25年前、希望に胸を膨らませて上京した時から
JALは私の心icon06の故郷でした

なんにもわかってなかった田舎もんで、学生気分のおねえちゃんface07

配属された成田空港での失敗や、訓練でのエピソード
一生のお付き合いになった先輩後輩や同期たち

事故のあの日・・・icon11

ステイ先での思い出

思いだしたら、きりがありません

結婚して入ったJALの社宅でも、一生のお友達ができましたface02

私はJALに感謝することはあっても
うらみつらみはありません

本当によくしてもらいました

周りの人たちは大変優秀で、時代が違えば
口もきけないような人もいて、
とても場違いなところに来てしまったと思ったもんですicon10

「育ちが悪いから、ファーストクラスのサービスができないicon08
と、親に申し立てたこともあります

でも今朝の番組で元大臣のS氏が
「JALは乗せてやってる、ANAは乗ってくださいという態度」
という発言があり、
司会者やコメンテーターのみなさんが
思わず絶句しながら、全員それを肯定してる場面がありましたicon11

世の中の人達が抱いてるイメージは、
現場の人が必死にやってることとはかけ離れてるように思いました

どこの世界でもそうですが、
現場は一生懸命

沈まぬ太陽でもあったように、いろんな利権がからんで
人間の欲のぶつかり合いがJALをこんな風に追い込んだと
私は思います。

でも、私はJALで多くのことを学んだことを忘れないし、
ブログのタイトルにもあるように、
規格外ではあったけれど、
JALにいられたことを一生の誇りに思います。

飛行機が到着した時、
英語のアナウンスの最後に
さようなら・・・
と入れていた時代がありました

でも、行きの飛行機で特に中近東で単身赴任をされてる方には
このさようなら・・・がとても切なく聞こえるからやめてほしいというご要望がありました

それで、あえてさようなら・・・を入れないようにしましょうと
南回りの中近東経由ヨーロッパ行きの路線フライト前に打ち合わせました

また、帰りの便ではJALの飛行機に乗られて
それだけでほっとされるようにお迎えしようと思ったものです

エジプトでクーデターが起こった時には、
邦人のレスキューのために行ってくださいと言われ
戒厳令のカイロの空港に着いたら戦車があって、
度肝を抜かれたこともあります。

JALがあってよかったと・・・そう思ってくださったお客様も沢山いらしたことを願わずにいられません。

今日はちょっと辛いです・・・icon11
あ・・・株も紙切れだし
そ、そ、それかface07   


Posted by 来楽暮  at 17:25Comments(0)